<アメリカ西海岸便り>
豊かな老後のために倹約するよりいまを楽しみ一文無しで死ぬ
前回、アメリカでベストセラーになっている「隣の百万長者」の話をしたが、書店のベストセラーや新刊コーナーには、お金にまつわる本がたくさん並んでいる。買う本を選ぶ際には、Amazon.comなどのインターネット書店に掲載された読者の書評が役に立つ。ときどき本自体よりも書評を読むほうが面白いと思うことさえある。
「隣の百万長者」の読者による書評は15ページにもわたり、その3分の2が肯定的なものである。「これはいい本だ。自分も百万長者になるため、今日から貯金する」という16才の高校生や「すでに倹約生活を送り、収入の2割を毎月貯金している」という20代の若者、「子供や孫に読ませるために同書を8部購入した」という読者が同書を絶賛している。残りの3分の1は、「百万長者になった後も倹約生活を送るのは健康的ではない」「お金を貯めること自体が目的であるべきではない」「そんなケチケチした暮らしをして幸福と言えるのか」というものだ。中には「こんな本のために20ドルを費やすのはもったいないので、図書館か友人に借りて読んで、その20ドルはもっと賢く投資した方がいい」というものもある。
著者らも、今回調査した百万長者たちは「幸せだったのか」「もしやり直せるとしたら、何をどう変えたいか」という調査を行なう予定だそうだ。
私がイメージするお金持ちも、生活のために働かなくていい人、毎回お金を使うときに「もったいないからやめようか」と思わなくてもいい人たちのこと。同書に出てくる百万長者の例に、夫に8百万ドル相当の会社の株をもらった後も、数十セントを節約するために食料品のクーポンを切り始めた女性の話があるが、そんなことをしなくてもいい人たちのことだ。
一見、守銭奴の私も、実はいつも「留学する」「マンションを買う」という一定の目的のために貯金をしてきたのであって、貯金自体を楽しんできたわけではないし、目的の購入を終えた後は常に貯金はゼロに戻ってしまった(だから、老後が現実のものとして見えてきた今、貯金がなくてあわてているのだ。)
実際、純資産100万ドルというのは、今の世の中たいした金額ではない。 Amazon.comの書評に26歳の若者が「毎月15%ずつ老後のために貯金しているが、このままいけば30代で百万長者になれる」と書いていたが、若いうちにコツコツ貯金をし、投資していればたいていの人は百万長者になれるのだ。すでに10年以上前から「百万長者(ミリオネア)」ではなく「億万長者(ビリオネア)」という言葉が生まれているように、百万長者では真の金持ちとはいえない。
書店の新刊コーナーに並ぶ本に、今年になって出た「一文無しで死ぬ」がある。一言で言えば、「お金は抱いて死ねないから生きているうちに使おう」という趣旨だが、同書が説くのは、
1.会社は今日辞める。散々リストラを行なった企業に、忠誠心などというものはない。私たちは仕事にあまりにも多くのことを期待しすぎている。仕事は生活の糧を稼ぐための職でしかない。お金以外のものは、仕事以外のことから得られるのだ。つまり、バラ色の老後を送るために、一生あくせく働くのは馬鹿げている。お金は道具であって目的ではない。楽しめる間に使おうというものだ。2.クレジットカードは捨てて、すべて現金で支払う。無駄使いはしない。シンプルな生活を送る。
3.永久(定年)退職などというのは幻想にすぎない。65歳で退職するなどというのは、平均寿命が65歳の頃の話。ずっと働きつづけてお金を貯めて65歳になって完全に仕事を辞めてしまうのではなく、高齢になってもパートタイムで働きつづければよい。
4.死ぬときは一文無しで。死んでから子供に遺産を残すのではなく、生きているうちに贈答する。莫大な財産を残してもその多くは税金に取られる。遺産が相続できるという期待は子供にとってもよくないし、家族争議のもとにもなる。
私も、「隣の百万長者」よりもこちらの考え方に賛成だ。特に子供のいない私などは、死ぬときにはお金はすべて使い切って死にたいと思っている。それに早く引退したいとは思っているが、完全に仕事を辞めるつもりはなく、生活のためにあくせく働くのではなく、好きなことをしながらゆったりと働ければそれでいい。もちろん、そう簡単には実現できないだろうが。
有元美津世/N・O誌1998年8月号掲載 Copyright GloalLINK 1997-1998
Revised 10/1/98 アメリカ西海岸便りインデックスへ