<アメリカ西海岸便り>

アメリカの老後はいかに

--多民族社会の墓地あれこれ


 昨夏、北カリフォルニアのサンホゼに住むホスト・ファーザーのボブが亡くなった。 ボブとメアリーは、11年前、私がサンホゼに住んでいた頃のホストファミリーだ。彼らには子供がなかったこともあって、私を実の娘のように扱ってくれた。私は大学院が始まる前の2週間、彼らの家にお世話になったが、その後も休日に遊びに行ったり、泊まりに行ったりした。私がサンホゼを離れて、各地を転々とした過去10年間も、ずっと連絡を保ち、私が南カリフォルニアに落ち着いてからは、年に数回遊びに行く。

 急な知らせだったため、ボブのお葬式には参列できなかった。40年連れ添った夫に先立たれ、たった一人になったメアリーが心配で、私は一週間後に彼女を訪問した。 二人でボブの眠る墓地を訪れた。ボブは生前の希望通り火葬に付されていた。彼の母親も火葬されており、メアリーも火葬を希望している。埋葬が伝統のアメリカでは、最近、火葬が流行っているそうだ。また、日本でも見られるような団地墓地も流行っている。ともに、土地が足らず、墓地代が上昇したせいだという。(それでも日本よりは一ケタ少ないようだ。それにこれだけ広大な国で土地が足らないというのは納得がいかない。)

 日本の火葬と違うのは、ボブの棺が運び去られた後、遺族が、それがどのようにどこで焼却されたかを知らないことだ。数時間後に少量の灰を手渡されただけだという。 ボブのお墓に参った後、メアリーとその広大な墓地をドライブした。カリフォルニアの多民族社会を反映して、墓地の文化も実に多様だった。日系人の墓が集められたセクションもある。名前は漢字で書かれているが、墓石はアメリカ式だ。その中には、中国系や韓国系の人のものもあった。中国系の人の墓石は派手である。赤字がふんだんに使われている上、本人の写真までが埋めこまれている。地味な色の多い殺風景な墓地では、一段と目立つ。ベトナム系の人の墓石は、平べったくていやに大きいのが特徴だ。私は、仏教系の人は、皆、火葬だと思い込んでいたのだが、中国やベトナムでは、土葬が一般的だということを初めて知った。

 象の像がたくさん並べられていたのはタイ系の人のお墓のようだ。アジア系の墓石に共通するのは、食べ物のお供えがされているところだ。ヨーロッパ系やラテン(中南米)系の墓には見られない。ラテン系の人のお墓には、キリスト像や神の言葉を飾ったものが多い。

 古いセクションに行くと、1800年代に生きていた人のお墓がたくさんあった。その多くはアイルランド系のものだった。中には、日本の蔵ほど大きな墓もあり、メアリーと一緒に唖然とした。メアリーは、「死んでまで、富を見せびらかして何になる。まったくお金の無駄使いだ」と憤慨していたが。

 メアリーは、私の友人の中で最高齢者だ。高齢者とつきあっていると、普段、若い人といると見えないものが見えてくる。メアリーの友人は、ほとんどが彼女と同年代の人たちだ。そのため、病気や死に見舞われる人が多く、自然とそうした話題が増える。10年前、私が、「私は年をとったら、同年代の茶飲み友だちと過ごしたい」と言ったら、すでにその頃60代であったメアリーは、「とんでもない。年寄りとばかりつきあっていたら気が滅入る。皆、次々に病気になったり、死んでいくんだから」

 今回、私は、彼女の言葉を目の当たりにすることになった。メアリーとボブの隣人で、ボブの友人でもあったハロルドは、私がサンホゼを訪れた頃、ちょうどガンで入院したところだった。大親友が数ヶ月前にガンでなくなったというその病院に入院したハロルドは、すでに自分の余命を察していたらしく、メアリーに「自分もボブのようにポックリ行けたらよかったんだけど」ともらしていた。

 私は、メアリーと一緒にハロルドを病院に見舞った。ドアを開け放した暗い病室にその長身を投げ出していたハロルドは、骨と皮ばかりにやせこけていた。それ以上ガン治療に耐えるだけの体力がないと判断された彼は、ただそこに横たわるだけだった。

 その後、ハロルドの自宅を訪れ、10年前に病気で半身不随となった妻のエレンとその娘ジュディに迎えられた。ジュディは、そこから車で数時間離れた町に住んでいるが、ハロルドが入院してから一人で生活している母の面倒を見によくやって来ていた。ハロルドがガンに倒れてから、両親の世話ができるようにとデュープレックス(二世帯用住宅)の別棟に息子夫婦も移り住んでいた。

 親の面倒など見ないようなイメージを持たれているアメリカ人だが、年老いた親と一緒、または近くに住むアメリカ人は結構多い。メアリーとボブがデュープレックスを購入したのも、ボブの母と一緒に暮らすためだった。その母が寝たきりになってからは、老人ホームに預けたが、母が亡くなるまでの2年間、ボブは毎日かかさず訪れ、母を車イスに乗せて何時間も散歩に連れていったということだ。

 ハロルド宅では、ジュディが、ハロルドのガンの痛みをやわらげるために、医者の処方箋をもらって入手したというマリファナを見せてくれた。今、考えると、「エイズ患者やガン末期患者の痛みをやわらげるために、医者の処方箋があれば、マリファナを使用または栽培してよい」というカリフォルニア州の提案が住民投票で承認されたのは11月。あれは、違法な処方だったのか?!(現在も、連邦法では違法。)

 私がサンホゼを去った2週間後、ハロルドは他界した。違法でも、マリファナのお陰でハロルドの痛みが少しでもやわらいでいたことを祈るばかりである。


有元美津世/N・O誌1997年3月号掲載  Copyright GloalLINK1996

Revised 4/24/97

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