同じビルにある会社で働く女性が、「彼氏の携帯電話の請求が700ドルも来た。どうも周波数がスキャンされ、コードが盗まれたらしい」という。このクローニングと呼ばれる詐欺行為は、電話会社内部の人間が起こしていることが多く、そうした社内ハッカーを見つけるために逆ハッカーを雇っている電話会社もある。アナログ電話の利用者が多いアメリカでは、このクローニングは大きな問題で、電話会社の損失額は年間何億ドルにものぼっている。
先日、日本のニュース番組で、携帯電話公害を取り上げ、ニューヨークの街頭インタビューで、「携帯を持っていない」という人が多かったことから、アメリカでは日本ほど携帯が使われていないと結論づけていた。最近、ニューヨークには行っていないので、あちらの事情はよく知らないが、カリフォルニアでは携帯を持っていない人を見つける方が大変だろう。アメリカ国内で交通事情が最悪といわれる南カリフォルニアでは、とにかく高速に乗ってみないと、目的地にどれくらいで着けるかわからない。渋滞に巻き込まれた際など、約束に遅れることを伝える手段が必要だ。また、夜間、自動車が故障したりしたときのために、非常時に備えて持っている人は私の周りでも多い。
ちなみに、アメリカでは着信に対しても料金が取られるため、自分がかけるとき以外は電話を切っている人が多い。自分の番号を教えない人も結構いる。
私も「どれだけテクノロジーが進んでも携帯だけは持つまい」と心に決めていたのだが、アポイントに遅れたり、道に迷ったときに、いちいち公衆電話を探すのが面倒で、1年半ほど前、公衆電話料金が上がったのをきっかけに使い始めた。
昨年、高速で偉い眼にあったことがある。ロサンジェルスからの帰りのこと。ちょうど5時過ぎでラッシュに巻き込まれることは覚悟していた。高速はかなり混んでいた。日ごろ、通勤ラッシュなどとは縁のない暮らしをしている私には、どれくらいの混み方が普通なのか検討がつかない。ついに車はほとんど動かない状態になってしまった。「ちょっと混みすぎなのでは。事故でもあったか」と思ってラジオで交通事情を聞くと、その高速の先で撃ち合いがあり、警察が6車線すべてを閉鎖しているというではないか!その手前の出口2つで降りるようにとラジオでは勧めているが、私はいつも最高速車線を走っているため、皆が降りようとひしめき合っている中、出口にはとうていたどり着けない。
ちょうどクリントン疑惑がたけなわの頃。クリントンの新たな愛人が発覚したところで、その女性がトークショーに出ていた。初めの一時間は時間も忘れて結構楽しめたが、その後の一時間が苦痛だった。電話をしようと思っても、周りの誰もが電話をしていて、回線がいっぱいで電話もつながらない。結局、同じ場所に2時間止まったままだった。それも、翌朝、日本に発つという前の晩。「まだ荷物も詰めていないのに…こんなところで、ボーっとしている暇はない。車を捨てて、歩いて帰れるものなら帰りたい…」 映画「フォーリング・ダウン」でマイケル・ダグラスが扮した主人公の気持ちがよくわかった。
といったハプニングなど珍しくもないカリフォルニアであるから、車を運転しながらの電話会議や営業なども行われている。かくいう私も、ある起業家をインタビューした際、携帯に電話するように言われ、相手が運転をしたまま、30分ほどインタビューをさせてもらったことがある。(アメリカでは、助手席にコンピューターまで置ける簡易ワークステーションが売られている。運転しながらこんなものを使っている人がいると思うと恐ろしい…)
ある在米の日本人が「アメリカ人は、アジア系のように携帯を使って人前でベラベラとプライベートな話をしない」といったようなことを言っていたが、この人は米国内をあまり旅行したことがないのではないかと思った。空港で待っていると、必ずといっていいほど、大きな声で携帯でしゃべっているビジネスマンがいるのだ。もちろん、会話の内容は周りに丸聞こえ。そんな人の近くに座ろうものなら、うるさくて雑誌も読めない。
また、あるとき目撃した女性は、携帯でおしゃべりをしながら搭乗し、着席後もおしゃべりを続け、「離陸時には電子機器は使わないように」という機長のアナウンス後もまだ切ろうとせず、乗務員に注意されてやっと「アイ・ラブ・ユー」と相手に別れを告げ、切ったのだった。
あと気がついたのは、少なくともカリフォルニアでは、ホテルのレストランのようなところでも、テーブルで平気で携帯に電話に出て、話をする人たちがいる点だ。私は、東京のレストランで電話を受けたとき、「外に出るように」とレストランに注意されたことがある。そう言われてみると、日本では、電話がかかってくると、皆、外に出て行く。
セミナーなどに行っても、よくビービー鳴っている。たいてい始まりのときに主催者側が「携帯のベルは切ってください」と言うのだけれど。
携帯電話公害は21世紀のグローバル問題といえるかもしれない。